ひなせたん 寝る前に考えた

空想・夢想・妄想が主な成分

虐待する親は、犯罪者だという認識

こんばんは、ひなせです。
児童養護施設の話の中で、私も虐待の過去を持っているという話を書きました。


今回は、自身の虐待の経験について書きたいと思います。

いろいろと語りたい題材ですので、何回かに分けて書こうと思います。書いてみると、結構つらいですね。続けては書けないかも。


表題の意味は、そのままの意味です。
私は、自分の親は犯罪者だと思っています。

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親と一緒に暮らす前

 

生まれてから、5歳くらいの時まで、私は母方の祖母の家に預けられていました。
祖母と、母の弟である叔父さんと、自分との3人暮らしでした。


そのような生活に至った理由は分かりません。
おそらく経済的な事情でしょうが、単純に親が面倒くさがったのかも知れません。
兄が二人いましたので、一緒に3人を育てるのは難しかったのでしょう。

 

決して裕福ではありませんが、この当時は幸せでした。大事にしてもらっていたと思います。
叔父さんはプロレスが好きで、その影響で自分もプロレスが大好きになりました。
その当時はタイガーマスク選手が活躍していた時代です。
叔父さんと一緒にプロレスを観に行ったのは、子供時代の良い思い出です。

 


小学校に上がる前のネグレクト

 

5歳頃から、今まで住んでいた場所を離れ、隣の県に住む親と、一緒に暮らすことになりました。
父親と母親、兄2人と自分の計5人でのアパート暮らしです。

 

両親は、私を育てよう、教育しようという気は、全く無いようでした。
ネグレクト、と呼ばれる状態です。

 

私は保育園や幼稚園には行っていません。
兄たちは小学校に登校しています。
では、その間、自分はどうしていたか。

 

朝、母親から100円を渡されます。
「パンを買ってこい」
と言われて、家の外に出されます。

あとは放置です。

 

当時、自分が住んでいた近くにはコンビニなどありませんでした。
家から離れた場所にあるパン屋さんに、パンを買いに行くことになります。
100円で買ったパンが朝食兼昼食です。

 

兄達が学校から帰ってくるまで、ひたすら時間をつぶす毎日です。
家を出た後に玄関に鍵を掛けられる場合もあるので、その場合は外で過ごします。

 

家の中に入れさせてもらえても、母親にビクビクしながら生活しなければいけませんでした。
機嫌を損ねれば殴られます。

 

母親は働いていません。
家で寝っ転がっていつもテレビを見ています。
家事をやらないこともあるので、仕事から帰ってきた父親とよくケンカをしていました。

 

父親は暴力的な人間でした。
私たち兄弟はとにかく両親を恐れていました。

 


小学校に入学

 

私が小学校に上がる頃、関西地方の県へ引っ越しました。
私にとっては初めての集団生活です。
自分は学校がどんなところかも分かりません。

 

皆さんは、小学校1年の入学式、最初の一日目の事を覚えていますか?

 

自分はよく覚えています。

 

私は自分の名字が分からなくて泣いていました。

 

私の両親は、名字を教えてくれませんでした。
私は学校で自分の名字、その当時の父親の名字を知りました。
それまでは、祖母の家の名字、母方の姓を名字と思っていたのです。

 

小学校に上がった後、学校での生活に慣れるのにかなり手こずりました。
本当に些細な事ではあるのですが、一般常識やマナーを全く知らないのです。
勉強に関しては、なんとかなりました。

 

大きな問題もありました。
ネグレクトの影響で、小学校に上がる時には自分はガリガリに痩せていました。
全く運動ができません。


食事を禄に与えられない生活はこの後もずっと続きますので、
学生時代の体育は苦痛でした。

 

どれ位、運動が出来ないか。

 

マラソン大会とか持久走とかありますよね。
タイムが遅いとか、途中棄権してしまうとかいう話ではありません。


事前に行われる検診で医者からドクターストップが掛かり、参加させてもらえないというレベルです。
やる以前の問題です。スタートラインにすら立てない。
どれだけ惨めな気持ちか分かるでしょうか。

 


どのような虐待だったか

 

叩かれるといった事は日常です。
些細な事で叩かれる。少しでも口答えしたりすると、
「くちをとがらすな」
と言って叩かれる。
階段の途中で母親に蹴られて、階段を転がり落ちた事もあります。

 

食事を食べさせてくれないのも常で、
小・中学校時代は朝食を食べた事がありません。


機嫌が悪いと、いろいろと理由を付けて夕飯も抜きです。
一日の食事が、給食のみ、という事もありました。

 

嫌な記憶として残っているものがいくつかあります。

 

自分は前述のように、運動が全くダメでした。
当然のように、水泳もダメ。泳げない。
自分が小学生の時、家族でプールに行くことになり、
勇気を出して、父親に「泳ぎ方を教えて」と頼みました。
父は私を、足が着かない深さのプールに連れてきました。
おもむろに、父は私を水面に投げ飛ばしました。
泳げない私はとにかく手足をバタバタさせ、何とか近くのプールの縁にたどり着きます。
父親はそんな私の頭をつかんで、水面に沈めます。
力が緩むタイミングで何とか水面に顔を上げ、息を吸い込みます。
何度も何度も顔を沈められ、溺れた私は大量の水を飲んでしまいます。
やがて、手を離された際に何とかプールサイドに這い上がります。
四つん這いのまま、大量に飲んだ水をゲーゲーと吐き出します。
そんな私を父はまた水面に投げ飛ばします。
これを何度も繰り返されました。

 

次男の兄が母親から耳かきをしてもらっていたときの事です。
自分は近くにいて順番を待っていました。
あきらかに母親はイライラしていて、手の動きが雑でした。
兄が「痛い、痛い」と言うと、
「イヤなら自分でやれ!」
と言って、耳かきをそのまま兄の耳に突き立てました。
兄は悲鳴を上げて、耳を押さえながら床を転がり回りました。血が点々と滴っています。

 

また別の兄の話。
私が小学校6年の時に、父親の仕事の都合で転校することになりました。
引っ越しの日。
学校から帰ってきた私達兄弟は泣いていました。
学校での別れを済ましてきたばかりです。
仲良くなった友達との別れはつらいものです。
仕事から帰ってきた父親は、その光景が気に食わなかったのでしょう。
長男を二階のベランダから投げ落としました。
兄は静かになりました。私ともう一人の兄も。

 


まとめ


子供の頃、私や兄たちは、親の顔色をうかがう子になっていたと思います。
とにかく、親の機嫌が悪くなると、どんなことをするか分からない。


かなり後になってから分かることですが、当時父親だと思っていた人は、血縁上の父親ではありませんでした。
本当の父親は別にいます。
それが、最初は母方の祖母の家に預けられていた理由、虐待の理由につながるのでしょう。

 

ここに書かれた事を他人に行った場合、犯罪です。
しかし、なぜか親子という関係だとそれが見過ごされてしまう。
子供を助けるために、しっかりと取り締まるべきだと思います。

 

次に虐待についての記事を書くときは、虐待被害者の心理について書きたいと思います。

多くの人が理解できていない点です。

 

虐待の被害者である私は、親は犯罪者だと思っています。
今でも。