ひなせたん 寝る前に考えた

空想・夢想・妄想が主な成分

いわゆる普通の教育は、虐待被害者を苦しめる

こんばんは、日生 誕(ひなせ たん)です。

 

今日も引き続き、虐待について書こうと思います。

なかなか分かってもらえない部分がある、虐待被害者の心理です。

 

こう書いてしまうと、虐待を受けた人の全てがこうだ、というように聞こえてしまうかも知れませんね。

とてもキツい表現も使用しています。

 

あくまでも、私個人の考え、と思って下さい。

 

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・親が正常であることが前提の学校教育

 

基本的には、私にとって小学校はありがたい場所でした。
親と離れられるし、友達に会う事ができます。
「先生」という存在にも救われました。

 

子供の場合、大人という存在は、「親」「先生」「その他」と分けられるぐらい、
「先生」は大きな存在だと思います。

 

信頼できる「先生」に出会うことが出来れば、それだけでも癒やしになります。
信じられる大人、暴力を振るわない大人、自分を守ってくれる大人、
そんな大人もいるという事が分かるだけで、どれほど安心を感じるか。

 

ただ、学校の仕組みは、全くありがたくないものです。

 

学校の行事・イベントだけで無く、宿題やちょっとした提出物なども全て、
「親と子を結びつける」事を目的に設定されています。


普通の家庭の子にはそれで良いんです。
でも、それが当てはまらない子もいます。


そして、ほとんどの人がそれに気付いていない。

 

虐待を受けている子には、これが本当に辛い。
学校からのお知らせがあったら、なにか親に接する必要のある宿題が出たら、親に話しかけないといけない。プリントに記入してもらわないといけない。

 

こちらとしては、極力、波風が立たないように、何か親の機嫌を損ねるような事が無いようにしたい。
それなのに学校は何の悪気も無く、要求してきます。

 

「お母さんにモデルになってもらって、絵を描こう!」

 

なんて事は無い、小学校低学年の夏休みの宿題です。
普通の家庭の子なら、絵を描くことをきっかけに、親子のコミュニケーションが生まれる。
何の問題も無いでしょう。

 

でもね、自分の場合は違います。
夏休みのある日。勇気を出して、
「お母さん、夏休みの宿題でね、お母さんの絵を描くことになったんだ。モデルになってよ」
と声を掛けました。


返ってきた答えは、
「顔なら毎日見てるだろうがぁ!」
という怒声と強烈なビンタです。

 

こんなやりとりをしないといけない。

 

イベント・学校行事もそうです。
三者面談だとか卒業式といった行事が、
「保護者が必ず出席する」といった前提で作られている。
部活動なども、「保護者が協力する」という前提。

 

普通の人達にとっては常識なんでしょう。


でもね、そんな常識は通じないんですよ。

 

 

・普通の教育は、虐待被害者の心を再び傷つける

 

とくに言いたいのは、この部分です。
普通に育った人には、分からないと思います。

 

学校の教育は、「親」が素晴らしい人達だと教えます。

 

「お父さん、お母さんにとって、あなた達は宝物です」
「愛情を持って育ててくれているご両親に感謝しましょう!」
「お母さんのどんなところが好き?」

「お父さんが働いてくれているからご飯が食べられます」
「両親にありがとうを伝える手紙を書きましょう!」
「あなたが生きているのは両親のおかげです」
「産んでくれただけでもありがたいのですよ」

 

子供達もそれに応えます。
「尊敬する人は、私の両親です!」
「私はお母さんが大好きです!」

「立派なお父さんの仕事を継ぎたいです!」
「大切に育ててくれてありがとう」
「お父さん、お母さんを愛しています!」

 

頭の中では分かるんですよ。
両親に感謝するのは自然なことだと。
出来るなら自分も親を愛したい。

 

だけど、自分の身に降りかかっている事実を考えると、
どうしても心から愛することは出来ない。

 

それでも両親を好きになれと学校は教える。
好きになれないのなら、それは自分がおかしいという事になる。

 

ひどい場合には、学校の先生が、
「両親を愛している生徒は普通。両親を愛していない生徒は異常」
という認識でいる。

 

虐待を受けて心も体も傷ついているのに、
「両親に感謝しなさい」

 

弱い者に暴力を振るうような人間は間違っていると思うのに
「両親を尊敬しなさい」

 

禄にご飯を食べさせてもらえていないのに、
「ありがたく思いなさい」

 

愛情なんて感じていないのに、
「産んでくれた親を愛しなさい」

 

両親が正しくて、自分が間違っているの?
悪いのは自分なの?

それでも両親を愛さないといけないの?
そんなふうに考える私はおかしいの?

 

虐待をする親など存在しないかのような、学校の教育。
善意が虐待の被害者を傷つけるなどとは、想定もしていないのでしょう。

 

 

・虐待被害者はセカンドレイプに会っているのと同じ

 

とてもキツい言い回しで、書かせてもらいます。

 

レイプ、そしてセカンドレイプの被害に遭われている方にとっては、不愉快な表現かも知れません。

 

ですが、児童の虐待は性的虐待も含まれるので、あえて言わせてもらいます。

 

虐待を受けた子に対して、
「親は悪くない」
「普通の子は親を愛する」
「親を愛せない人はおかしい」
と言うのは、セカンドレイプと同じです。

 

親は神聖不可侵な存在ではありません。
悪いものは、悪いのです。
そして、犯罪行為を犯したのなら、犯罪者として裁かれるべきです。

 

虐待の被害者達は、
「犯罪の加害者を愛せ」
と、ずっと言われ続けているのです。


どれだけおかしな事なのか、分かるでしょうか?