ひなせたん 寝る前に考えた

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会社の評価って、本当に必要でしょうか?

こんばんは、日生 誕(ひなせ たん)です。


少し前に、「会社の評価はその人の印象に過ぎない」と書いたのですが、
今回もこのテーマで語らせてもらいます。

 

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評価が正しいのか疑問

前回の話では、「人からの評価は気にするな」と書いたのですが、
「自身の成長」や「自分の価値」を高めるのをあきらめる、という話ではありません。
あくまでも、会社での評価制度の問題点の話です。

 

最近思うのですが、「人から評価されることに疲れた」と感じている人は、多いのではないのでしょうか?


社員を全く幸せにしていないどころか、モチベーションを下げる制度のような気がします。

 

管理職であり、事業部の責任者でもある私ですらそう感じるのですから、
敏感な人にとっては、「ストレス」・「苦痛」になっているのではないでしょうか。

 

もっと酷いと「他の人の期待に応えないと」「もっと頑張らないと」と自分を追い込んで、心を病んでしまう原因になっていないでしょうか。

 

そんなに評価って、大切なんでしょうか?
会社の評価って、本当に必要でしょうか?

 


評価は「もともと公平じゃないから諦めろ」という意見

 会社の評価制度は、「公平であろうとすることを諦めてはいけない」とする意見もある一方、「もともと公平じゃないから諦めろ」といった意見も耳にします。

 

公平じゃない評価制度に、人が合わせていく。
前回に触れたような「長いものに巻かれろ」理論ですね。

 

人は万能じゃない。人が見るものだから、不完全で当たり前。
ごもっともな意見ですが、そこに制度の意味はあるのでしょうか?

 

極端なことを言ってしまえば、「上司のご機嫌を伺う人」が得をする。
「処世術の長けた人」が出世していく会社になるわけです。

 

技術者や、目立たないけど職場を支えている人、そういった人達が評価されない。
そして、行きつく先が、「評価する側が不公平」です。

 

そういった人たちは、自分の言うことを聞く人間を評価する。仲の良い人を出世させる。社内で仲良しグループとも言える派閥を作って、自分たちだけが美味しい思いをしようとする。

 

それでは、会社の為になりません。


評価されない優秀な人は去り、仲良しグループと、評価を諦めた人たちだけが会社に残る。
本当に大事にすべき人たちを軽んじた結果、業績が落ち込んでいく企業。
よくある話ですね。

 

評価は「もともと公平じゃないから諦めろ」と言っている人は、
「自分は不公平な人間だ」と宣言しているようなものです。
公平な評価を行う難しさを言い訳にして、自分が楽をしようとしているだけです。

 

本当に会社の為を思うなら、
「適正に評価されるよう、評価方法を見直す」
あるいは、
「本当に現在の評価制度が正しいのか、制度そのものを考える」
といったアクションを起こすべきです。

 

評価制度の変更は、評価する側しか出来ません。


その制度を導入している以上、「社員のためになるように、努力し続ける」のが、
評価する側の正しい姿勢です。上司の責任です。


「公平ではない」というのは無責任ですし、部下に対して不誠実です。

 
あえて、評価をしない

 かといって、「公平な評価」が難しいのも事実。

 

ノーレイティングという制度に変える企業や、
そもそも評価をしない企業も出てきました。

 

ノーレイティングに関しては、「半年とか一年という周期で定期的に行ってきた、社員のランク分け」をやめる方法です。


その場その場でのコミュニケーションやフィードバックが重要ですので、
むしろ運用する側に相応の能力が求められます。

 

評価をしない企業では、「評価そのものがコスト」という考えです。


評価に「公平な評価」「明確な基準」を設けようとすると、どうしてもその為の時間が必要になります。
また、評価制度は個人のモチベーションに寄与しない、と捉えていますので、チーム内での給与や賞与は同金額、という設定です。
面白い試みですね。

 

少し前まで「正しい評価こそが、社員のやる気と会社の競争力を高める」と言われていましたが、今はもう、評価そのものの是非を問う、そんな時代なんですね。

 

言われてみれば確かに、評価っていろいろと無駄が多いです。
特に、かなりの時間を消費しています。

 

過去の実績から数字を拾い上げたり、事業部毎に結果を比べたり、
評価シートに作文みたいなコメントを書いたり、
社員の人数分の面接時間が掛かったりして。

 

どれだけの時間をロスしているのでしょうか?
「公平な評価」を目指すための時間、社員のための時間と思うと、大切なのは分かるのですが、
「生産性の低い時間」と言えなくもありません。

 

しかも、結果として「社員のモチベーションがアップした」とも「会社の業績が伸びた」とも判断がつきません。
むしろ、評価に期待していない、という社員も多いと感じます。

 

あえて評価をしないのも、アリではないでしょうか。

 
評価されたい人はどうすればいいのか?

 では、評価されたい人はどうすべきか。

 

もっと給料を貰いたい。会社で上を目指したい。
役職に就きたい。同期には負けたくない。

 

でも、自分を評価する人は「不公平な評価をする上司」かも知れない。
評価してもらえるよう、その上司の価値観に合わせて自分を変えていく。そんな時間ありますか?

 

頑張った分をしっかり評価してくれる会社だったらいいけど、
自分の人生を、自分が所属する「会社の上司」に預けて大丈夫でしょうか?

 

……ひょっとすると「社内だけで評価されて上を目指す」時代って、終わってませんか?

 

自分から評価されるように行動する。
しかも、社内だけではなく、広い世の中での評価を目指す。

 

SNSを活用するのも良いでしょうし、コツコツとお客さんから信頼を得るのも良い。
会社を飛び出して評価されることで、社内での評価が上がる場合もあるでしょう。

 

●●会社に仕事を依頼する、ではなくて、
■■さんに仕事を依頼する。

 

この人と一緒に仕事をしたいと思われる。この人に仕事を任せたいと思われる。
これこそが評価ではないでしょうか。

 

仕事を客観的に評価してくれる人は、社内ではなく社外にいます。

 

そして、やっぱり評価はお金です。
報酬こそが評価なわけです。

 

中小企業の場合、その社内でどれだけ評価されても、給料は大して増えません。
残業手当すらつかなくて、頑張っても頑張ってもお金にならない。そんな会社がたくさんあります。
そこで評価されることに、どれだけの意味があるのか。

 

そんな会社に不満があるなら、やはりキャリアアップを目指すべきです。


会社の評価は人を幸せにしない

会社での評価を望んでいない人も増えています。


そこそこの給料で良いので、自分の時間を大切にしたい。
出世や責任は望まない。家族と過ごせる仕事が良い。

 

安定した職として公務員を目指す人や、
前述のような、「評価しない企業」に就職したいと思う若者は多いでしょう。

 

価値観が多様化している以上、今までの評価制度ではフォローしきれなくなっています。
「会社に評価されたくない人」を「会社の評価制度」に当てはめて、上手くいく訳がありません。

 

そんな人たちも、他社からの評価を気にしていない訳ではありません。
むしろ、中高年世代より、自己承認欲求は強い位じゃないでしょうか。

 

彼らには、評価してもらいたい世界がすでにあるのです。
他者に認められたいけど、それが会社や上司ではなくなっているのです。

 

昔の人は仕事が人生の大部分を占めていたわけですから、
仕事場・会社での評価が、自分そのものの評価でした。

 

でも今は違います。
SNSやネットや好きなことを通じて、自分を認めてもらいたい。
上司や会社よりも、身近にいる友人や恋人や家族が大切。
当たり前ですね。

 

定時で帰ると評価が下がる。
こんな時代遅れな価値観には、付き合ってられません。

 

「こんな会社で働きたい」と評価される会社に

 会社の運用として評価制度を考えると、
・その会社で働きたいと思ってもらえる(入社動機)
・所属する労働者のやる気を高める(継続雇用)
という条件の達成が必須です。

 

どれだけ素晴らしい評価制度を作ったところで、人がいなければ話になりません。
せっかく入社した人が、どんどん退職していく会社でも困ります。

 

評価制度は多かれ少なかれ不満が出る仕組みである以上、
誰もが納得する究極のアイデアはありません。

 

だからこそ、あえて評価しない、のも選択肢の一つでしょう。

 

旧来の評価制度はやめて、会社が変わっていってはどうでしょうか?
「こんな会社で働きたい」と思ってもらえれば成功です。
「評価制度で会社を選ぼう」なんて人はいません。

 

今の時代、会社は「評価される側」です。
人手不足の主な理由は、その会社が「評価されていない」からです。

 

何のための評価か。

 

それを考えて変化できる会社が、評価される会社と言えるでしょう。