ひなせたん 寝る前に考えた

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会社の評価って、本当に必要でしょうか?

こんばんは、日生 誕(ひなせ たん)です。


少し前に、「会社の評価はその人の印象に過ぎない」と書いたのですが、
今回もこのテーマで語らせてもらいます。

 

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評価が正しいのか疑問

前回の話では、「人からの評価は気にするな」と書いたのですが、
「自身の成長」や「自分の価値」を高めるのをあきらめる、という話ではありません。
あくまでも、会社での評価制度の問題点の話です。

 

最近思うのですが、「人から評価されることに疲れた」と感じている人は、多いのではないのでしょうか?


社員を全く幸せにしていないどころか、モチベーションを下げる制度のような気がします。

 

管理職であり、事業部の責任者でもある私ですらそう感じるのですから、
敏感な人にとっては、「ストレス」・「苦痛」になっているのではないでしょうか。

 

もっと酷いと「他の人の期待に応えないと」「もっと頑張らないと」と自分を追い込んで、心を病んでしまう原因になっていないでしょうか。

 

そんなに評価って、大切なんでしょうか?
会社の評価って、本当に必要でしょうか?

 


●評価は「もともと公平じゃないから諦めろ」という意見

 

会社の評価制度は、「公平であろうとすることを諦めてはいけない」とする意見もある一方、「もともと公平じゃないから諦めろ」といった意見も耳にします。

 

公平じゃない評価制度に、人が合わせていく。
前回に触れたような「長いものに巻かれろ」理論ですね。

 

人は万能じゃない。人が見るものだから、不完全で当たり前。
ごもっともな意見ですが、そこに制度の意味はあるのでしょうか?

 

極端な事を言ってしまえば、「上司のご機嫌を伺う人」が得をする。
「処世術の長けた人」が出世していく会社になるわけです。

 

技術者や、目立たないけど職場を支えている人、そういった人達が評価されない。
そして、行きつく先が、「評価する側が不公平」です。

 

そういった人たちは、自分の言うことを聞く人間を評価する。仲の良い人を出世させる。社内で仲良しグループとも言える派閥を作って、自分たちだけが美味しい思いをしようとする。

 

それでは、会社の為になりません。


評価されない優秀な人は去り、仲良しグループと、評価を諦めた人たちだけが会社に残る。
本当に大事にすべき人たちを軽んじた結果、業績が落ち込んでいく企業。
よくある話ですね。

 

評価は「もともと公平じゃないから諦めろ」と言っている人は、
「自分は不公平な人間だ」と宣言しているようなものです。
公平な評価を行う難しさを言い訳にして、自分が楽をしようとしているだけです。

 

本当に会社の為を思うなら、
「適正に評価されるよう、評価方法を見直す」
あるいは、
「本当に現在の評価制度が正しいのか、制度そのものを考える」
といったアクションを起こすべきです。

 

評価制度の変更は、評価する側しか出来ません。


その制度を導入している以上、「社員のためになるように、努力し続ける」のが、
評価する側の正しい姿勢です。上司の責任です。


「公平ではない」というのは無責任ですし、部下に対して不誠実です。

 


●あえて、評価をしない

 

かといって、「公平な評価」が難しいのも事実。

 

ノーレイティングという制度に変える企業や、
そもそも評価をしない企業も出てきました。

 

ノーレイティングに関しては、「半年とか一年という周期で定期的に行ってきた、社員のランク分け」をやめる方法です。


その場その場でのコミュニケーションやフィードバックが重要ですので、
むしろ運用する側に相応の能力が求められます。

 

評価をしない企業では、「評価そのものがコスト」という考えです。


評価に「公平な評価」「明確な基準」を設けようとすると、どうしてもその為の時間が必要になります。
また、評価制度は個人のモチベーションに寄与しない、と捉えていますので、チーム内での給与や賞与は同金額、という設定です。
面白い試みですね。

 

少し前まで「正しい評価こそが、社員のやる気と会社の競争力を高める」と言われていましたが、今はもう、評価そのものの是非を問う、そんな時代なんですね。

 

言われてみれば確かに、評価っていろいろと無駄が多いです。
特に、かなりの時間を消費しています。

 

過去の実績から数字を拾い上げたり、事業部毎に結果を比べたり、
評価シートに作文みたいなコメントを書いたり、
社員の人数分の面接時間が掛かったりして。

 

どれだけの時間をロスしているのでしょうか?
「公平な評価」を目指すための時間、社員のための時間と思うと、大切なのは分かるのですが、
「生産性の低い時間」と言えなくもありません。

 

しかも、結果として「社員のモチベーションがアップした」とも「会社の業績が伸びた」とも判断がつきません。
むしろ、評価に期待していない、という社員も多いと感じます。

 

あえて評価をしないのも、アリではないでしょうか。

 


●評価されたい人はどうすればいいのか?

 

では、評価されたい人はどうすべきか。

 

もっと給料を貰いたい。会社で上を目指したい。
役職に就きたい。同期には負けたくない。

 

でも、自分を評価する人は「不公平な評価をする上司」かも知れない。
評価してもらえるよう、その上司の価値観に合わせて自分を変えていく。そんな時間ありますか?

 

頑張った分をしっかり評価してくれる会社だったらいいけど、
自分の人生を、自分が所属する「会社の上司」に預けて大丈夫でしょうか?

 

……ひょっとすると「社内だけで評価されて上を目指す」時代って、終わってませんか?

 

自分から評価されるように行動する。
しかも、社内だけではなく、広い世の中での評価を目指す。

 

SNSを活用するのも良いでしょうし、コツコツとお客さんから信頼を得るのも良い。
会社を飛び出して評価されることで、社内での評価が上がる場合もあるでしょう。

 

●●会社に仕事を依頼する、ではなくて、
■■さんに仕事を依頼する。

 

この人と一緒に仕事をしたいと思われる。この人に仕事を任せたいと思われる。
これこそが評価ではないでしょうか。

 

仕事を客観的に評価してくれる人は、社内ではなく社外にいます。

 

そして、やっぱり評価はお金です。
報酬こそが評価なわけです。

 

中小企業の場合、その社内でどれだけ評価されても、給料は大して増えません。
残業手当すらつかなくて、頑張っても頑張ってもお金にならない。そんな会社がたくさんあります。
そこで評価されることに、どれだけの意味があるのか。

 

そんな会社に不満があるなら、やはりキャリアアップを目指すべきです。

 


●会社の評価は人を幸せにしない

 

会社での評価を望んでいない人も増えています。


そこそこの給料で良いので、自分の時間を大切にしたい。
出世や責任は望まない。家族と過ごせる仕事が良い。

 

安定した職として公務員を目指す人や、
前述のような、「評価しない企業」に就職したいと思う若者は多いでしょう。

 

価値観が多様化している以上、今までの評価制度ではフォローしきれなくなっています。
「会社に評価されたくない人」を「会社の評価制度」に当てはめて、上手くいく訳がありません。

 

そんな人たちも、他社からの評価を気にしていない訳ではありません。
むしろ、中高年世代より、自己承認欲求は強い位じゃないでしょうか。

 

彼らには、評価してもらいたい世界がすでにあるのです。
他者に認められたいけど、それが会社や上司ではなくなっているのです。

 

昔の人は仕事が人生の大部分を占めていたわけですから、
仕事場・会社での評価が、自分そのものの評価でした。

 

でも今は違います。
SNSやネットや好きな事を通じて、自分を認めてもらいたい。
上司や会社よりも、身近にいる友人や恋人や家族が大切。
当たり前ですね。

 

定時で帰ると評価が下がる。
こんな時代遅れな価値観には、付き合ってられません。

 


●「こんな会社で働きたい」と評価される会社に

 

会社の運用として評価制度を考えると、
・その会社で働きたいと思ってもらえる(入社動機)
・所属する労働者のやる気を高める(継続雇用)
という条件の達成が必須です。

 

どれだけ素晴らしい評価制度を作ったところで、人がいなければ話になりません。
せっかく入社した人が、どんどん退職していく会社でも困ります。

 

評価制度は多かれ少なかれ不満が出る仕組みである以上、
誰もが納得する究極のアイデアはありません。

 

だからこそ、あえて評価しない、のも選択肢の一つでしょう。

 

旧来の評価制度はやめて、会社が変わっていってはどうでしょうか?
「こんな会社で働きたい」と思ってもらえれば成功です。
「評価制度で会社を選ぼう」なんて人はいません。

 

今の時代、会社は「評価される側」です。
人手不足の主な理由は、その会社が「評価されていない」からです。

 

何のための評価か。

 

それを考えて変化できる会社が、評価される会社と言えるでしょう。