ひなせたん 寝る前に考えた

空想・夢想・妄想が主な成分

孤独死とか、死に方を恐れる必要はないです

こんばんは、ひなせ たんです。

 

少し前に野村克也さんの訃報がありました。

 

日本プロ野球史上、最高のキャッチャーであり、屈指の名将。あまり野球に詳しくない人でも、ノムさん、野村監督の名は知っているでしょう。

 

私は野球好きなんですが、ホント、日本球界の偉大な人が亡くなったという印象です。元プロ野球選手の訃報が続いていますので、時代の変わり目なのでしょうか。

 

そのニュースの中で「最期の亡くなり方がかわいそう」「野村さんほどの人でも孤独死なのか」というような意見を目にしました。

 

全く、論外。

議論に値しない意見です。

 

人の死に方でその人の価値は決まりません。

 

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●どんなに幸せな人生を過ごしても、亡くなる時はコントロールできない

 

どんな人生でも、最期に一人になってしまう可能性はあります。

 

事故なのか、病気なのか、ごくごく当たりまえな話ですが、人は死ぬ時期をコントロール出来ません。家族や子どもに恵まれ、幸せな人生を送っていても、ある日突然亡くなってしまう場合もあり得ます。

 

ベッドや布団の上で死ねたら良いかというと、それも違うと思います。

 

長く苦しい闘病生活の果てに・・・・・・という可能性もあるので、それが幸せかといったらどうなのでしょう? 治療費などの金銭面で家族に多大な迷惑を掛けてしまう場合だってありえます。介護で家族の助けが必要だったり、痛みに耐える時間が長かったり、亡くなる前に意識がない月日が続くかもしれない。

 

死の瞬間は、ある意味で「生命活動の停止」を表しているというだけのことなので、その瞬間を切り取って、「幸せ」か「不幸」かを判断するのは間違いです。亡くなった瞬間はまだ終わりではなくて、その後の「お葬式」とか「周囲の反応」もその人の人生の一部と言えるでしょう。だからこそ、人の死に方でその人の価値は決まらない。

 

やっぱり、その人の死に方ではなく、生き方が大切ですよ。

生きている間に、何をやったか。どれだけのことをして、何を残したか。

 

そういった意味で、野村克也さんほど幸せな生き方って、なかなか出来ないですよ。この先ずっと、日本のプロ野球史に名前が残り続けるわけですから。そして、ノムさんが育てた人達が野球を続けて、歴史を継続させていくわけです。全然かわいそうではありません。

 

「死に方」をとやかく言う人は、「死に方」を怖がりすぎです。

 

「死に方」を無闇に恐れたり考えすぎたりするのではなく、「自分はどう生きたいか」「何を残したいのか」を考えた方が、よほど自分の為になると思います。