ひなせたん 寝る前に考えた

空想・夢想・妄想が主な成分

神は存在しない。なぜなら世界は悲劇であふれている・・・・・・って、証明になってない。

こんばんは、ひなせです。

以前から不思議に思っていたのが、タイトルの言葉。

 

「神は存在しない。なぜなら世界は悲劇であふれている」

 

って、SNSなどで格好つけて書き込んだりしている人を見掛けるんですが、人の世に悲劇があるのと神の不在に関係は無いので、全く証明になってないですよね。

 

誰か有名な人が言った言葉なんでしょうか? 何かの作品の台詞?

 

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二段論法になってないです

 

●悲劇が少ない=神が存在する、なの?

え? どういうこと? 悲劇が多いと、神は存在しない?

あまりに人間側の身勝手な視点な気もするし、神様が存在して悲劇を起こしてる可能性もあるわけでしょ?

地震とか洪水といった天災で人が亡くなった場合は悲劇と考えがちだけど、例えば聖書のノアの箱舟の物語とか、思いっきり沢山の人や動物が死んでるわけですよ。

キリスト教の世界観だと、人間が大勢死んだくらいでは、神の不在の証明にはなりません。神の罰かも知れない、という可能性があるわけです。

この点に関しては、他の宗教でも同じですね。

神々の争いに巻き込まれて人が命を落とすこともあれば、人の行いが悪い故の罰もある。他の宗教を信仰したが故に、命を落とすこともある。

神を信じる人にとっては、悲劇がある=神の存在の証明、なわけです。

 

 

●そもそも人は神様から助けてもらえるものなのか

この、「神は存在しない。なぜなら世界は悲劇であふれている」って、神様がいるなら人は助けてもらえるはず、という前提条件のような考えが透けて見えます。

「神様がいるなら、悲劇は起こらないはずでしょ」という主張です。

でも、待って下さい。そもそも人間って、神様から助けてもらえる存在でしょうか?

 

神様が存在するとして、

「人間を助けようと思えば助けられるけど、独り立ちするべき時がきたので、安易に助けたりしない。人間にはノータッチ」

というように考えていたらどうします? 人間がどこまでやれるか見守ろう、という姿勢です。

神様が人間を作りだした存在だとしたら、いつまでも面倒を見なければいけない状態を続けるより、自分たちの力で歩んでいけるように成長してもらいたい、と考えないでしょうか? ずっとニートの面倒を見る親じゃあるまいし。

ある意味、神に放っておかれる=人を試している、とも考えられます。

それなのに「神はいない」とか勝手に言っているとしたら、神様の考えをくめていない愚か者です。

 

 

●結論ありきで言っていただけ

先ほどの話も踏まえて、例の言葉は、「神様がいる」という前提で考えている人の言葉では無いと言えます。

つまりは「神は存在しない」と思っている人が、勝手に「悲劇」を利用しているわけです。

「神は存在しない」と言いたいから、悲劇が多い=神はいない、というこじつけを行ったわけです。

 

典型的な「詭弁」というやつです。

 

 

●ほとんどの悲劇は人の責任でしょう

地震などの一部の自然災害は人の手ではどうにもなりませんが、気候変動による災害は、人に責任の一端がある場合もあります。証明は難しいでしょうが、地球温暖化などが遠因になっている可能性です。

事件や事故、差別の問題や国家間の戦争などは完全に人の責任。

そう考えると、世の中の悲劇のほとんどは人の責任であって、神の存在は関係ありません。

それらの問題を乗り越えていかねばならないなら、神がいるのか・いないのかではなく、もっと現実と向き合うべきです。

 

「世界は悲劇であふれている。神の助けを待っていてはいけない。人類が協力して解決しなければならない」

 

という言い方なら良いと思います。

 

 

●信仰に対して失礼

私自身は、ゆるーく宗教と付き合っていけば良いと思っている、よくいるタイプの日本人です。

宗教には、イベントとか人付き合いとか行事で関わる程度です。初詣とか、お葬式とか、クリスマスとか。

でも、世の中には真剣に宗教と向き合っている人もいるわけじゃないですか。

そういった人達もいるのに「神は存在しない」っていうのは、ちょっと違うんじゃ無いかな、と思うわけですよ。ましてや世の中が大変な時期に、その悲劇を利用してそれを言うなんて。

 

宗教について自由に発言できる日本って素晴らしいです。

けれど、「神は存在しない」という話は、軽々しくすべきではありません。

その発言によって、悲劇が生まれる可能性もあるのですから。