こんばんは、日生 誕(ひなせ たん)です。
最近、とある小説を読んだのですが、全く面白くありませんでした。
それだけなら別に私が選択を誤っただけの話なんですが、その読んだ本というのが、Amazonでの評価がかなり高いものだったんです。
いえ、Amazonだけでなく、いろいろなブログとか何かの書評ランキングでも上位で、「今までで読んだ本で一番おもしろかった」なんてレビューが平気で書かれているんです。
いやいや、ありえないでしょう。主人公に好感が持てないし、話の展開もかなり強引。それでいて特に盛り上がるわけでもなく、淡々と物語が進んでいく。むしろ、自分が読んだ本の中ではワーストに近い。
この本の評価を書いている人って、読書経験が少ない人とか、小中学生とかなのか。あるいは何かしらの不正をおこなっているのか。
おそらくこれって、評価が先のパターンなんでしょうね。
評価を無理矢理にでも上げる → 評判になる → 売れる、という仕組み。
こういった売り方をする商品は、確かに存在します。
因果の流れを逆にする、評価のパラドックスとでも言うのでしょうか。
面白いから評価されたのか。評価されているから面白いのか。
評価されたから売れたのか、売れたから評価されたのか。
●Amazonは評価不正の温床になっている
Amazonの評価に関しては、目安や参考にはならないと考えた方が無難です。
以前にもこちらのブログで書いたのですが、なりすましとかサクラと呼ばれる手法で、ネットショップの評価をつり上げている場合があります。
Amazonですと、サクラチェッカーというサイトで、サクラ・やらせレビューを除外した評価を確認出来ます。リンクも貼っておきます。
海外からの評価を弾いてチェック出来るため、より確かな評価を確認出来る仕組みなのですが、おそらく国内の組織票や不正に対しては無力です。今回、私が読んだ本はこのパターンでしょう。
こういったサイトの評価は、本当に悪気がなく、ファンが高評価をしている場合もありえますし、それとは逆に、アンチが異常な低評価をしている場合もありえます。どちらも防ぐことはできません。
やはり、「評価をする」という行為自体がとても難しいものですし、匿名で誰もが書き込めてしまうものに関しては、信用度が低くなるものとして見た方が良いでしょう。
●評価が後にこないとパラドックスが起こる
評価のパラドックスに話を戻します。
普通なら、本が売れるプロセスは以下の通りになります。
良い作品が生まれる → 人の目に触れる → 評価が伸びる → 評判になる → 売れる
ただし、この方法だとよほど良い作品でないと売れません。いえ、良い作品なのに存在に気付いてもらえず、あまり売れない、というパターンだってありえます。極端な場合だと、作者の死後に評価される事例だってある。
「フランケンシュタイン」の作者、メアリー・シェリーが「最後の人間」を書いたのが1826年。出版当時は酷評され、再評価を受けたのは1960年代。メタフィクションであり、終末ものの話であり、タイムパラドックスも含まれる、先駆けも先駆けなSF小説です。Wikipediaの短いあらすじを読んだだけでも鳥肌が立ちます。
ついつい話が逸れてしまいました。前述の「評価が先のパターン」ですが、意図的に評価や流行を造り出そうとする人達がいる、という話です。
作品が出来る → 関係者が評価を盛る → 意図的に情報を流す → 評判を作る → 売れる
作品が一定のクオリティを持ち、評価に値する水準の作品であれば、なんの問題もありません。文学賞受賞作品などの場合です。まあ、この例でもかなり怪しいパターンがありますけど。
悪いのが、全く高いクオリティの作品ではないのに、評価が盛られたパターン。
売るため、売れやすくするため、人を騙すため、欺くため、お金のため。
そのために、因果が狂った評価のパラドックスを造り出す。
で、結果的に売れてしまう。
世の中で、「こんな物がウケているのか」という商品は、疑った方が良いですね。
●悪い例がステルスマーケティング
ここ最近の失敗例だと、「100日後に●ぬ●ニ」ですね。
話題や評判を先に作って売る。有名人にSNSで取り上げてもらって、強引に話題作り。
日本の広告代理店はずっとこの方法をやってきています。流行を自分たちが作って仕掛けるやり方。成功体験として身に付いちゃっているからなのか、なかなか止められないのでしょう。
でも、この先も続けるのは難しいかも。
一般の人もSNSを駆使しているので、そういった仕掛けが見破られやすくなっていますし、ステルスマーケティングのように広告表記のない宣伝行為は、欧米では違法となっています。日本もこの流れに乗るでしょう。
●良い例。評価が先でも人の成長に繋がる
しかしながら、良い物を作れば売れる、というわけでも無いのが世の中の難しいところ。
先ほどの話とは逆になりますが、「評価や立場が人を作る」という場合もあり得ます。
芸能人を売り出すとき、このパターンが多いですね。
売り出されて間もなくは、あきらかに実力不足の感が否めないのに、だんだんとものになっていく。評価のパラドックスがうまく作用した結果ですね。
もちろん、失敗例もあります。「実力もないのに人気先行で、事務所のおかげで売れたのに、自分の力で売れたと勘違いする人」を生み出す危険性はあります。
●テレビとかマスコミが使う最悪の手法
今までは、評価を盛ったパターンで話をしてきましたが、本当に最悪なのは、評価を不当に下げた場合です。
例えば、一人の人間の悪い評価をテレビやマスコミが言い続けた場合。
多くの人がそれに流され、その人を色眼鏡で見てしまう。結果として、その人の評価を正しく行う事すら出来なくなります。
●評価には責任が伴わなければならない
評価って、する側は勝手にマウントを取れた気になれます。一方的に言えて、気持ちよくなれます。力を持った気になれる。
良い評価をつければ自分も気持ちよくなれる。悪い評価をつければ、相手をやっつけた気になれる。
だからこそ、評価は慎重に、責任を持って行わなければならない。
でも、無責任な人がいる以上、他人の評価は全く参考にならない、くらいの心構えが必要。評価を信用する前に、評価した人をこちら側で評価・判断しないといけません。
性善説じゃないですけど、評価を悪用する人がいなければ、こんな考えをしなくて済むのにって思います。自分は評価を悪用したくないですね。
ただ、そうも言っていられない場合もあるのでしょうか。誰しも成功したいですもんね。
それでも、実力を身につけるのが、一番の近道だと思うのです。
ブログもそうですよね?