こんばんは、日生 誕(ひなせ たん)です。
先日、大食いの人は摂食障害ですよーという記事を書いたのですが、その時「痩せすぎモデルの起用問題」も頭に浮かんだんですよ。
話がややこしくなってしまうと思ったので、分けて書くことにしました。
今回は「痩せすぎモデルの起用問題」というテーマです。
不健康を理由に起用しないのはおかしい、という話です。
●もともとの痩せすぎモデルの起用問題はどんな話か
もともとの「痩せすぎモデルの起用問題」は、
- モデル自身が痩せすぎていて、摂食障害の拒食症にまでなる人もいた
- 最悪の場合には、命を落とす人もいる
- 若者の過度なダイエット信仰につながっている
- 美への追求が間違った方向に進み、歪んだ価値観となっていた
という問題です。
もともとは、「健康の問題」だったんですよね。
アパレル・ブランド業界で「痩せすぎたモデルは起用しない」「モデルの体重をチェックする」といった話にもなりました。
日本の若い女性には痩せている人が多いから、日本は対応が遅れているという話もありましたね。
その後、モデル業界は多様性やポリコレの問題などもあり、人種や肌の色、LGBTにも配慮する方向になりました。
こういった問題提起もあり、今ではLGBTの人を起用したり、太った人を広告に出したりしています。
ポリティカル・コレクトネスとは、性別・人種・民族・宗教などに基づく差別・偏見を防ぐ目的で、政治的・社会的に公正・中立な言葉や表現を使用することを指す。「政治的妥当性」、「政治的公正」、「政治的適正」、「政治的正当性」、「政治的正義」などの訳語も使われる。
LGBTとは、Lesbian(レズビアン、女性同性愛者)、Gay(ゲイ、男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシュアル、両性愛者)、Transgender(トランスジェンダー、性別越境者)の頭文字をとった単語。セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の総称のひとつ。
でも、「痩せすぎモデルの起用問題」が健康を理由に端を発したのなら、太った人を起用するのもおかしいはず。
なんでこんな流れになっているのでしょう?
●拒食症が職業病だとしたら業界が責任を持って対応すべき
それで、大食いの摂食障害(過食症)について考えた時、モデルの拒食症も職業病だろう、と考えたんです。
だとすると、その仕事が原因で病気になっているのに、業界側が見捨てるという姿勢をとるとしたら、それはちょっと無責任です。なんでそんな話になっているのか。
さんざん自分たちが痩せたモデルを使い続けてきたのに、拒食症になったらお払い箱。
治療を受けるべき人が仕事も失ったら、金銭的な苦境に立たされる。そうなると治療もままならない。むしろ、業界が責任を持って対応すべきでしょう。
例えば、プロスポーツ選手が怪我や病気になった場合、いきなりその人を見捨てて契約解除なんて話になったら、その所属チームは非難されます。
つまりブランドにキズが付くわけです。
そうは言ってもプロは厳しい世界です。結果的に首になる場合も当然ある。そうだとしても、タイミングや状況は配慮するべきです。
本来なら、
「痩せたモデルは今後も使い続けるけど、拒食症になるまでモデルを追い込んだのなら業界に責任がある。治療は私達が責任を持って行う」
となるべきところが、
「痩せたモデルは起用しない」
になってしまっているわけです。モデルのためにもなっていない。
これって、ちょっとおかしいですよね。
なんらかの忖度が働いたとか、外部からの圧力があったのでしょうか。
●健康や多様性の問題なら、むしろ痩せた人を起用しないのはおかしい
もともとの不健康が理由だとするのなら、痩せた人ではなく太った人を起用する、という話はおかしいです。だって、太った人も不健康でしょう?
痩せた人はダメで、太った人を積極的に使っていきましょう、は筋が通ってない。
続いて、多様性(ダイバーシティー)の問題。
語るまでもありませんが、痩せた人も多様性の一部なので、こちらの理由でも痩せた人を起用しないのはおかしい。痩せた人を起用しないというのは、多様性を認めていないという話になります。
痩せたモデルを起用する側も、
「スタイルが良いから起用している」
と自信を持って言えないのもおかしい。でも言えない空気があったのでしょう。
つまり、「痩せすぎモデルの起用問題」は「健康」を言い訳に使っただけで、実はポリコレ問題だったわけです。
●努力は認められるべき
美しさの価値基準は様々なので、あくまでも個人的価値観の話になりますが、私としては、痩せすぎも太りすぎも不健康なので良くないのではと思います。
そうなると、やっぱりスポーツ選手のような体が良いでしょうか。
実際、スポーツ選手がモデルになっているウェアの写真とか、メチャクチャかっこいいですよね。
ただ、モデルという仕事を「身につけた服やブランド品を最大限に美しく見せる存在」として考えた場合、ある程度デザイナーや職人が希望する体型に合わせる努力は必要なのではないでしょうか。
アーティストファースト的な考え方です。
スタイル良く見せる必要があるなら、やっぱりある程度、痩せているべき。デザイナーが太った人を対象に服を作ったのなら、太った人がその服を着ればいい。
まあ、食事制限や運動で頑張って体型を造った人と、特に何もせずに太っている人では、前者の人を認めるべきだとは思うのですが、そういった単純な話ではないのですかね。
ああ、窮屈。
サイズが小さい服のように窮屈な話です。