どうも、日生 誕(ひなせ たん)です。
「俺」とか「あたし」とか、一人称代名詞はいろいろとありますが、それらを削ったほうが、日本語としてスッキリした文になります。
小生(しょうせい)とか拙者(せっしゃ)とか、逆に使ってみたい気もしますが。
●ブログだとほとんどの人が使っていない
出だしから偉そうなことを言っていますが、実はみんな、いちいち「僕」「私」とか書いていない。
文章の書き方とかコツを記事にしているのですが、ブログで「一人称代名詞は削った方が良い」と書いても、ほとんど意味が無さそうです。
皆さん、偉いですね。自然となのか、一人称代名詞を使わずに文章を書いている。
エッセイとかもそうですが、書き手が明確な文章の場合、いちいち一人称代名詞は使わないですね。
ブログの場合には、
「今日、会社に遅刻しちゃったんですよ」
といきなり書いても、意味が通じますから。
小説の場合は違います。
「一人称視点の小説ですよ」
という場合は、しっかりと一人称代名詞が使われます。当たり前の約束事ですね。
そうしないと、視点が分からないから、この場合は絶対に必要です。
●文章が固くなる
私の場合だと、仕事についてとか、この文章についての記事のように、真面目な話には一人称で「私」を使います。
ちょっとかしこまった文章になりますね。
でも文章が固く感じるので、もっと読みやすいように、やわらか~く、フレンドリ~に、暖か~く書きたい。
「ぼく」とか「おれっち」をあえて使用する、という手もありますね。中身はおっさんですが。
今までは意識しませんでしたが、文章の効果を狙って、使い分けていくのもいいですね。
「我輩は~」
とか書き出したら、コイツやべー奴だと感づいて、読む人が身構えてくれますから。
●日本語は主語を削ると良い文章になる
日本語について学んでいると、
「日本語は主語を削ると良い文章になる」
という意見を目にします。
確かに、不必要な文字だったらそれは削れるわけで、削って意味が通じるなら無くてもいいはず。
本当に必要な文字だけ残って、読み手に意味が通じるなら、文章の役割は果たしている。
自然と、シンプルで分かりやすい文章になるはずです。
理想的とも言えます。
余計なものをそぎ落とすと、簡潔になり、リズムが生まれる。
不思議と、詩のような文章になりますね。
●不必要なものを「削る」のがポイント
よくよく考えてみると、一人称代名詞を削るのが重要なのではなく、「削る」という行動というか、行程が重要なのではないでしょうか。
「日本語は主語を削ると良い文章になる」
という話ではなくて、
「日本語は削ると良い文章になる」
なのでは?
不必要なものを削って、言葉を研いでいく。
もっともふさわしい位置に、もっともふさわしい言葉を並べる。
なんか、日本酒みたいですね。
雑味を無くし、すっきりさせるため、お米を削る。
「米を磨く」とも言います。
言葉も、削って、磨いていかないとダメですね。